こすもすですく

ASKAさんのブログ読んでるうちに成り行きで作った部屋。定期的に書き続ける気は今のところないですw

ASKA「Too many people」を私なりの言葉で語らせてくれ(2)

07 Too many people

 

初めて聴いたとき、この人がこれをやるのかという新鮮な驚きがあった。彼の字余りな歌詞の乗せ方は過去にもないわけではなかったけれど、ここまで空気がピリッとはりつめるような畳みかけは初めてではないか。そして、サビでは辺りを見渡すようにゆっくりと語りかけてくる。確かに、あまりに多くの人々が、色んなことを言っては通りすぎて行ったのだ。彼なりの言葉を待とうともせず。彼を大事に抱きしめてるつもりのファンでさえも。そんな人々をはっと立ち止まらせ振り向かせ、あるいは黙らせる曲だ。

荒野から凛として放たれるようなこの曲に出会った時、私の好きな中島みゆきが一瞬頭をよぎった。芯の通った音と声であらねば支えきれないような言葉が乗っている、そして聴き手はそれをさらりと聴き流すことができない。それなりの心構えで迎えねばと思わされるような気迫がこもっている。このような曲を歌いこなせるボーカリストは一握りであろう。ただ彼は、決して激情のままに荒々しくつき叫ぶことはしない。元々の彼の理性に加え、作品に置いてはあくまでも生の感情をそのまま投影するのは避けていたという。それでも滲み出てしまうものを多くの人が感じ取ったところに、彼の抱えていたものの大きさを思う。臆せず、かつ激せず、自分の言葉を紡げる人の、静かだけれど重々しい苦悩の痕なのだ。

 

08 と、いう話さ

 

「濡れた夢」のような「No Way」のような、久々にゾクッとくる低音ボーカルだ。この人の色気には多彩な顔がある。そのうちの甘いロマンティックな方面ではなく、クールで尖った方面が全開。サビではこのクールさを保ったままオクターブ上のシャウトで攻めてくるからたまらない。

夢占いにおいて、紙は自己表現の象徴なのだそうだ。「紙が風に飛ばされぬよう 小石を乗せつづける夢を見た」この歌詞から私は「can do now」の紙を撒く場面を連想する。やはり暗示的な夢だ。自分はやれる、そう信じて念じて、一途に発信を続けるcan do now。対してこの曲は、風評で吹き飛ばされそうな自分の真実を守ろうとしているかのようだ。取り巻く風の強大さに対し、自分は地道に小さな石で繰り返し繋ぎとめるしかない。

私は、「それでいいんだ今は」と「元気か自分」に同じ匂いを感じている。この2曲はひと続きの物語のようだ。しかし、その間に全く毛色の違う2曲が配置された。おかげで起伏に富んだアルバムとして楽しめるわけだが、私の中では別の空想も働いてしまう。諦めることはないと決意して歩き出した「それでいいんだ今は」。けれど止むことはない報道の嘘、世間の誤解、独り歩きする噂と想像。沈黙を破り自分なりの言葉で、ひとつひとつ説明を尽くし向き合う「Too many people」「と、いう話さ」。ドアの音がする。ひとつの区切りをくぐり抜ける。リスナーと分かり合い、言葉じゃなく歌を歌うためいよいよ大股で歩き始める「元気か自分」。そんな、私なりの物語を描いてみた。

発売から間もない日、イヤホンでアルバムを聴きながら渋谷の街を歩いた。スクランブル交差点でこの曲のイントロが流れ、ノイジーに掻き鳴らされるギターの中で凛々しく澄み渡るピアノの音に鳥肌が立った思い出は忘れない。疾走感に背中を押されるようにしてずんずんと歩いた。今思えばその音色は、群れのざわめきをよそに颯爽と歩いていくASKAさんの姿と重なる。彼の歌とその思い出は人々の心の財産としていつまでも残る。紙くず同然に風に飛ばされていくのは、そのとき興味を引くだけの使い捨ての言葉の刃達であろう。

 

09 元気か自分

 

「社会の風は2年後も吹き止まないだろう」、けれど「自分を責め続けていては歩けなくなってしまう、せめて自分だけは自分に優しくしてあげたい」、「今を強く生きる」。そんなブログの言葉を思い出す。私はこの曲を「それでいいんだ今は」の続きの世界と受け取っている。耐えるだけの時間は過ぎて砂漠はもう抜けて、まだ向かい風はやまないからインスタントな気持ちが沸き上がることもあるけれど、すべて塗りつぶしてエネルギー満タンで前進していく。大事な人の腕めがけおもちゃの箱をバラ撒きに。

空を駆けるような伸びやかな歌声。軽やかなリズムに心が躍り、言葉のひとつひとつにわくわくする。この曲の世界観を満たしているのは「自由」だ。音楽には自由が必要、自由なしでは傑作は生まれない、と彼はブログや本で語っていた。つまりこの歌は「大きな南向きの窓を開け」た世界であり、思うがまま縦横無尽に駆け巡る自由が描かれている。スニーカーのフットワークで夢を走らせられる自由、煙が不良のような無遠慮さで空をけがせる自由。世間体を重視する周りを振り切り反省と萎縮を混同せず「楽しいことはなんでもやりたい」と言い切ってみせる毅然とした自由。

そして「おはようおかえりなさい」と聴こえたとき、ああやっぱり彼にとって朝は新しい始まりなんだ、嵐が去って朝が来たんだと、過去の様々な歌詞を浮かべながら頷く。

それにしても、「光が濃いと影だって濃い」の説得力と言ったらない。地獄をくぐり抜けて帰ってきた人が「毒入りのジュースは鮮やかな色さ」と圧倒的な明るさで歌えてしまう強さ。なんだかニヤニヤしてしまうではないか。

 

10 通り雨

 

この曲の主人公は気遣いの人だ。「ね」「みたい」という優しい語り口、愚痴を聞いてもらうのにも「笑えるように話するから」と相手の気を害さぬよう気を配る。まるでASKAさんの一面をそのまま切り取ったようでもある。けれどこの歌は、そんな気配り屋の主人公がひと時の癒しを求める物語だ。仕事での嫌な思いから解放され、通り雨に洗われる風景を見守っては、これから会う大好きな人を想う。街の埃を洗い清める通り雨。心のささくれを溶かし去る恋人との時間。

「はじまりはいつも雨」を思わせる優しいギターの音色が、絶え間なく雨粒のように全体を彩る。言葉もメロディも「ラララ」も、ボーカルも音色もテンポも、すべてが柔らかで調和がとれていて、徹底的に心地が良い。音楽にBGMになるタイプとならないタイプ(どちらもいい意味で)があるとすれば、例えば「Too many people」が後者でこの曲は前者にあたるだろう、それも極上のBGMだ。「ドーナツショップ」というたった一言がこの曲にお洒落の魔法をかけている。自分と同じように空を見上げる人があちこちにいると示唆することで、曲の情景が一箇所ではなく広がりを持ったものに変わる。ASKAさんの技の妙に何度聴いても感服のため息を禁じ得ない。

 

11 信じることが楽さ

 

このタイトルを知ったとき、すぐに「ぴあ&ASKA」のインタビューが浮かんだ。人を疑うことは疲れる、創作活動への魂みたいなものが確実にすり減っていく、と。歌詞では疲れるではなく「寂しい」と表現されている。やっぱり人を好きでいたい気持ちや人間そのものへの信頼が彼の創作の根源にはあるのだろう。この曲のメロディも歌声も、水の流れるように素直に胸に沁み入ってくる。潮が満ちて引くように、人を信じることは自然なこと…この曲は彼にとっての「TAO」なのかもしれない。

理屈では説明しきれない「好き」という気持ちがある。私はこの曲を一番、自然と口ずさみたくなる。この人を好きになって良かった、好きでいて良かったという想いが静かに湧き上がる曲なのだ。

 

12 未来の勲章

 

「この愛のために」のような骨のある男らしいボーカル。歌声にねじ伏せられるような痛快さがある。人生は線だ、でも書き直す過程は未来にしかない。インタビューでそんな言葉を目にしたとき、この曲の冒頭の詞を浮かべた。道は揺れてるし哀しみは常にあるけれど、明日になれば何かが変わってるさ―。自分が何かを頑張ったとき、刻まれた皺や傷跡であったり思い出の品であったり、誇れるものを「勲章」と例えることがある。勲章とはとかく過去の功績に与えられるイメージだ。ASKAさんの勲章は既に数限りないように思える。あれほどの出来事を経てもなお、輝きを失わない勲章を私達は確かに見ている。けれど、彼はあくまでそれを未来に求める。まだ懐かしい人にはなるまいと歩き続ける。この曲がまぶしいのは、そんな彼の生きざまをリアルタイムで目の当たりにしているからだろう。13曲の中でも格別に存在感のあるタイトルと、その強さをまとうにふさわしい豪快でたくましい楽曲だ。

いつか彼が再び袖に立ち手を合わせ祈り、五線紙を走ったこの曲が運ばれる日が来る。彼が新たに未来の勲章を手にする日だ。

 

13 しゃぼん

 

ふたを開けてみると、これ以外にエンディングは考えられないという、ここに収まるべくして収まったような楽曲であった。ASKAさんの音楽の中でも個人的にツボである、胸を締め付けるような切なさ、壮大なドラマにまた出会うことができた。

心の琴線を震わす彼の巧みなメロディには、長年魅せられてきた。Tomorrow、好きになる、君が愛を語れ、止まった時計、PRIDE―。そんな切なさの表現に、今回プラスされた感情が、「それでもそれでも ああそれでも」という魂を振り絞るような叫びであると思う。これまでの楽曲も魂のこもった歌唱ばかりだった。けれどこの曲は、闇の底から手を伸ばし持てる力を絞り出すような凄みが胸に迫る。メロディのじりじり登っていくさまは、すんなりとそこを越えられないもどかしさそのままのようでもある。アルバムのコピーの「渾身」という言葉は、この叫びのためにあるとすら思える。

私はASKAさんの作る大サビや間奏が好きだと6曲目で書いた。この曲の大サビ、間奏からラストサビへのドラマチックな流れもまた格別だ。彼の音楽と声でしか、この世界は創れない。希望の白い朝が訪れるさまを、音で描いてくれる。

そして、曲が終わったとき私は、ブックレットの最初のページに戻りたくなる。

「十敗したって十勝すればいい」「嵐が去ったら何になる?」「朝が来るんです」

 

貴方の上に、天使は必ずいるよ。私のそばには、貴方の歌がきらきらとしているよ。

「人は宇宙の中にいるのではなく、人は宇宙を持ってる 人はすごい 人はすごい」貴方が魂で語りかけたあの日の景色が、嵐の日々も私の心を守ってきたよ。

今幸せか苦しいかと聞かれたら、すぐには答えられない。けれど、全ての幸せから全ての苦しみを差し引きしたら、やっぱり幸せが残るんだ。

なぜなら、私のヒーローが帰ってきたから。

 

 

このアルバムについて、Twitterで様々な賛辞を読んだ。その中で「熱量」という言葉がとてもしっくりくるし共感を覚えた。私の言葉で表すなら、「生命力と情熱」のみなぎるアルバムと言いたい。希望も苦悩も、どちらも力一杯生きる姿であり人間らしさだ。それが唯一無二の歌唱で表現された13曲だ。

いつまでも作品を手放しで誉めることを嫌い、「やったことは許されないけれど」という前置きつきで語られることにはうんざりしている。「音楽と人間性は別」という声にもちょっと待てと言いたい。言いたいことは山ほどある。ただ、ここは途中だ。自分を取り戻し帰ってきてくれたあの方が、この先も音楽という真心を届け続けて下さることは間違いない。心に壁を作ったままの人々にもいつしか雪解けの広がっていくことを信じている。私はただひたすら、あの方の不屈の魂に心からの敬意を捧げたい。

 

ASKAさん戻ってきて下さってありがとう。再びお会いできて幸せです。もう二度と遠くへ行かないで下さいね。ずっとずっと、貴方の音楽人生のお伴をさせて下さい。

 

<了>