こすもすですく

ASKAさんのブログ読んでるうちに成り行きで作った部屋。定期的に書き続ける気は今のところないですw

怒涛のライブレポ②~「billboard classics ASKA PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018 -THE PRIDE-」2018.12.6 東京国際フォーラム

あれだけ長いレポを書いといてまだやるか、と言われそうですが、まだやります。

 

 

私にとっての歴史的な日は、復活ライブの初日だけではない。 12月6日、東京国際フォーラム。なんと、人生で最もASKAさんに近づける3列目の席が当たってしまった。いつも以上に応募が殺到するであろうチケットの抽選に外れるのを恐れて、頼み込んで2公演申し込ませてもらった、そのうちの1枚だった。とんでもないご褒美が降りてきた!

自分の席に向かって歩きながら、心がどんどん舞い上がっていくのを感じた。ねえ神様、これは夢ですか?夢ですか…?着席して、ステージを見つめる。近い。近すぎる。写真でしか知らなかった「きりたんぽマイク」が、すぐそこにあるではないか。スタッフさんが前を通る。慌てて真顔を作る。ニヤニヤがこみ上げすぎて抑えるのがツラい。

開演して、ついにASKAさんが袖から歩いてきた瞬間、私の正気は完全にぶっ飛んだ。なにせ私が26年間ずっと大好きだったその人が、目の前に立ったのだから。映像じゃなくて、実物が。なんだか、初めて会えたような気分だった。何度もライブに行ってたはずなのに…。クラシックでなかったなら、私はもっと声をあげていただろう。「うわカッコいい…ちょっと待ってカッコいい…」「くぅー…いいなぁぁ…」1曲終わるごとに心の叫びが脳内に充満し、声として漏れないよう閉じ込めるのに必死だった。お隣の人達はなんでそんなに静かでいられるのだろう?と思うほどだった。

さて、ASKAさんが歓声に一瞬応えた後、すぐに曲は始まった。ところが。今回の「熱風」は歌詞間違いが発生。終盤、「太陽の胸に剣を向ければ…」の部分を何度か繰り返した後、最後に「ルアラ ルアラ ルアラ」で締めるはずが、「太陽の…」の繰り返す回数が1つ少なかったらしい。予定より早くルアラルアラに突入してしまったASKAさんは、余った小節をそのままずっとルアラルアラで凌いでいた。ASKAさんすみません、ちょっとクスッとなりました(笑)。全力で世界観に入り込んで歌ってたASKAさんが間違いに気づいて修正する時の一瞬の躊躇が見えたような…レアな場面でした(笑)。

それにしても、今回はスクリーンをチラ見しなくてもいい。ASKAさんの生き生きと歌う姿を肉眼で堪能できる。2回目ということもあり、より落ち着いてオーケストラの演奏を味わえる。「Man and Woman」で早くも涙腺が緩んできた。「I’m busy」の脇をしめたまま電車に揺られる仕草がセクシーでキュートだった。「同じ時代を」のドラマチックなアレンジに魅了された。とりわけこの曲の持つメッセージには前々から強く惹かれていた。手を広げ語りかけるように歌うあの人の姿を見つめながら、いつしか涙がこぼれていた。貴方が好きでした。ずっとずっと、大好きだったんです…私の心は何度もそう呼びかけていた。同じ時代に出会えて本当に良かった…早くブルーレイでもう一度見たい曲の1つだ。

「しゃぼん」を歌う時、左足でタン、タンとリズムをとる靴音が、マイクを介さずじかに聞こえていた。考えてみたら、ブルーレイに足元はそれほど映らない。こんなにしょっちゅう足を踏み鳴らしたり常に動かしていたとは初めて知った。そればかりか、この人はずっと全身をフルに駆使して歌っていた。おなじみののけ反るポーズ、拳を握ったり手を広げたり、あるときはスタンドを前に倒し気味で前傾姿勢で歌い、あるときはスタンドから1メートルぐらい離れて朗々と声を響かせたり。明らかに生の声が聞こえた時すらあった。私は釘付けになりすぎてこれが現実なのか時々分からなくなるほどだった。

 

休憩をはさんで第2部。今日はどんな風になるかと楽しみにしていた。なぜなら仙台公演で、いくろうさんがサプライズを仕込んだからだ。ASKAさんがおふざけで指揮棒を振ったら、本当に「ジャジャジャジャーン!」と「運命」が演奏されてビックリだったとか。今回はもうサプライズはできないしな…と思っていたら、別の曲が流れた。確かモーツァルトの「アイネクライネナハトムジーク」だったと思う。ASKAさんは「打ち合わせしたな…」と楽しそうに呟いていた。

さて、第2部も感動の嵐であった。ASKAさんは上手側へ歩いていって「FUKUOKA」を歌った。 ちょうどそれが私にとって真ん前だったのだ。息が止まるかと思った。「FUKUOKA」に入る前のMCは、初日と違ってたっぷり話してくれた。東京でスタジオが使えないときに福岡が声をかけてくれた話は既に有名だが、その時ASKAさんはなんだか申し訳なく感じたと言うのだ。福岡でライブをするとどうしても満足いくものにならず、ある日それは故郷を意識しすぎるからだと気づいた。そこで、福岡を特別意識しないで、単にたくさんの開催地の中のひとつと捉えるよう努めたという。お客さんに満足いくものを見せるためとは言え、そんな接し方をしていた自分なのに、ふるさとは手を差しのべてくれた。そんな思いがこの曲には籠っていたのだ。のちに福岡でこの曲を歌ったシンフォニック公演は、今までのどのライブの福岡公演とも違う、特別なものとなっただろう。

「君が愛を語れ」では、前回より更にオーケストラのダイナミズムを味わえた。ティンパニの音がずんずん響いてきた。生演奏を聴く醍醐味の一つは、音を体全体で味わうことだと素人なりに感じている。とりわけ打楽器は、耳というより上半身全部に響いてくる。私の一番好きなASKAソロ曲においてそれを浴びることができたのは幸せであった。

「YAH YAH YAH」では、ASKAさんはかつての歌の合間の決めポーズも全部やってくれて、弦楽器の皆さんも、自分達のパートがお休みの間一緒に笑顔で拳を上げてくれた。客席のボルテージは益々熱く、私も終わった時には「ブラボー!!」とクラシック式に叫んでしまった。男性客の歓声がたくさん聞こえたのも嬉しかった。

今回MCでのASKAさんは、初日より更にくだけて楽しんでいる様子に見えた。マチャアキの真似をして「何点だァーーー!」を連発してみたり、「迷宮のレプリカント」に入れた「僕がもしも死んだら」というセリフが霊の声だとネットで噂になり「俺は霊かよ」とぼやいてみたり、曲の合間に口に含むキャンディーを見せびらかしては「これ、気になってるの知ってるよ?でも教えらんないんだなぁー」「赤いキャンディーを食べると子供になる。青いキャンディーを食べると大人になる。黄色いキャンディーを食べると…ボーカリストになるんだよっ」といたずらっぽく笑ったり。アンコールの時はいくろうさんに手を引かれて(なかば引っ張られる感じで)出てくるし、「いやぁ、まさかアンコール頂けるとは思ってなかったんでね、どの曲やろうか迷ったんですけども…」などと小芝居でおどけていた。

そんな楽しそうな雰囲気のまま、手を振り袖にはけたASKAさん。ん、今日はこの感じのまま終わるのかな?と思いきや、もう一度出てきてくれた。

「今日僕はこの言葉を言わなきゃいけないんだ。皆さん、長い間待っててくれて、本当にありがとう!」

思わず、大きな声で「ありがとう!」と叫び返した。ASKAさん、本当にありがとう。幸せだった…。

また、お会いしましょう。必ず!

怒涛のライブレポ①~「billboard classics ASKA PREMIUM SYMPHONIC CONCERT 2018 -THE PRIDE-」2018.11.5 東京国際フォーラム

アルバム「とぅーめに」と、この「しんふぉにっく」は私の人生の一大事ですから。気の済むように書かせて頂きますよ。はい

 

 

チケットを忘れていないか、最低5回は確認したと思う。2018年11月5日、待ちに待ったASKAさん復活の日東京国際フォーラムのロビーに入って、その広さと、飾られたお花の数、人の多さに、呆然となった。グッズを買い、地下の店で食事をとりながら一人で緊張していた。周りで食事をしている人がみんなFellowsなんじゃないか、などと思いつつ、何を食べても心が落ち着かずふわふわしていた。開場時間が迫りノコノコ入り口に戻ると、信じられないほどの長蛇の列ができていた。はるか向こう、ホールの外の最後尾に向かって歩きながら眩暈がしそうだった。あぁ、入り口にASKAと書かれてるだけで感激してる場合じゃなかった…忘れてたわけじゃないけど…あの人は歴史に名を残す大スターなんだった…。5000人が並ぶとこういう光景になるのか。ASKAさんを待ってた人がこんなにいるのか…。

国際フォーラムのホールAに行くのは初めてだった。ロケットツアーでも使われたことは知っていたので、ASKAさんが同じ場所にいきなり戻ってこられたことに心底感動していたのだが、ホールに入ってみてその規模を思い知った。とりあえず立ち尽くして見渡さずにはいられなかった。開演までの1時間はあっという間に過ぎた。

 

いよいよ開演。東京フィルハーモニー交響楽団の皆さんが着席、チューニングが終わって藤原いくろうさん登場。まずはオーケストラのみによる「On Your Mark」が演奏された。ASKAさんの再出発に、この曲を選んでアレンジを施してくれたいくろうさんの心意気を思うと、胸が熱くなる。早くもすすり上げているお客さんもいる。あぁついに始まったんだなあ…と噛みしめながら聴いていた。ここにたどり着くまで、あの人が乗り越えてきたものについてはもはや語るまでもないが、私は私で自らの抱えていた困難にずいぶん耐えた。逃げられない現実と取っ組み合う日々に、私を潤してくれたのはあの人が未来に向けて頑張っているという希望、いつか必ず再会するんだという思いだった。チケットを手に入れてからも気が気でなかった。あの人に会えるまでに事故に遭わないようにしなきゃ…今度の健診で病気が見つかりませんように…大地震がきませんように…人に話したら笑われるような、大げさかつ細心の注意を払って過ごしてきたのだ。でも、ほら、コンサートは始まった。もう大丈夫だ。

なかば夢心地で聴いているうちに曲は終わった。いくろうさんがお辞儀をした直後、下手の扉が開いて、ついにASKAさんが登場。44列目の私からも一目で分かるシルエット。わぁ…あの人だ…本物だ…。

初日のあの瞬間の、熱い拍手と声援を私は忘れないだろう。私もありったけの声であの人を呼んだ。みんなみんな、この瞬間を待っていた。日本の、いや世界中の、このコンサートに思いを馳せるFellowsの「気」もすべてこのホールに乗り移ったかのようだった。

1曲目が始まった。小野かほりさんのパーカッションと太陽を模した背後の照明が、瞬時にいにしえの世界を創り出してくれる。「熱風」だった。two-fiveや熱風コンサートでの熱演により数十年経っても色褪せない魅力を証明したこの曲が、今度はシンフォニックで新たな装いを見せてくれた。ASKAさんはいつものポーズで静かに歌い始めた。私のよく知るあの歌声が再びホールに響いた。待ちわびた瞬間だった。

初日のステージでも忘れられない場面のひとつはこのとき、1番が終わってすぐに拍手が湧き起ったことだ。みんな興奮を隠せない、この時を待ってたんだよという気持ちを表さずにいられないのだ。たまらなかった。

次の曲は「Man and Woman」。チャゲ&飛鳥のセカンドアルバム表題曲の次が、CHAGE and ASKAの最新シングル曲。昔も今も名曲を生み続けてきた事実、どの時代の楽曲も今のものとして歌いこなせるという事実を、いきなり見せつけてくれる。「君を守ろう、僕が守ろう」を噛みしめるように大事に歌われていたのが印象的だった。遠くの席のため、左右のスクリーンにも頻繁に見入っていたが、この曲でASKAさんが客席をまっすぐ見つめて歌いかける姿に釘付けになってしまった。「いや、私はライブを見に来たんだ!映像ならブルーレイで見れる!」と実物のASKAさんに視線を戻すも、ついついスクリーンに目が行っていた。あの人のあの眼差しが、表情が、大好きだったから。また会えて嬉しかった。

3曲目は発売したてのベスト盤「Made in ASKA」を意識しただろうか、「I’m busy」。意外性のある選曲続きで楽しませてくれる。マリンバなどの音色が効果的な、軽やかなアレンジ。インタビューでの「どんな曲もやりますよ」との言葉が思い起こされる。それを可能にしているのがいくろうさんのオーケストレーションなのだろうし、パーカッション陣の役割は非常に大きいように感じる。

さて、3曲終わって最初のMCが来た。私はなんとなく、「待たせたね~」にはならない気がしていたのだ。果たしてそうなった。なんといきなりイレブンが降臨した。「お待たせ~!」「お約束のオオボケ~!」「マボロシ~!」いやいや、まぼろしじゃ困りますASKAさん (笑) !思わず隣の人と笑いあった。「いや、昨日YouTube見ててさ、ずっとこれやってたんだよ(笑)楽屋でやったらウケたので…」「メディアの皆さんはここだけを切り取らないように(笑)」って、喜んで切り取るに決まってるじゃないですか(笑)。私としては、ブログのいつものASKAさんが目の前に現れただけで、通常運転すぎてすっかり和んだのであった。後日のインタビューによると、「お客さんの高ぶりをまず1回落とさなきゃいけない。最初にピークを持ってきたらもう上がれないですもん。なんちゃってから入らなきゃと」。確かに、あの日の客席のテンションは尋常ではなかった。1ステージを1つの曲に例えて起承転結を組み立てているASKAさん。いきなりサビからじゃ続かないよ…というわけである。至極納得であった。すべての行動には理由があるのだ。

MCのあと、澤近さんのピアノでショパンの「雨だれ」が奏でられ、続いて「はじまりはいつも雨」へ。10年前のシンフォニックではピアノのあとオーケストラのイントロが奏でられたが、今回はピアノからすぐに歌が始まった。いわゆるASKAソロの名刺代わりと言える楽曲。歌いだしを聴いただけで「待ってました」とばかりに拍手が巻き起こった。曲の途中での拍手は、お約束ではなく衝動的に起こるもの。みんながあの人の歌う姿を心から喜んでいることが伝わって、私はこうした拍手はとても嬉しい。そしてそんな観客の気持ちはASKAさんにもいくろうさんにもオケの皆さんにも伝わっているはずだ。

続いては「同じ時代を」。ライブではおなじみと思うが、シンフォニックで歌ってもらえるとは思わなかった。ロケットツアーのアンコールの最後に歌われた曲。これが最後のライブ音源になりませんように…とこの5年間祈ってきたものだ。再び聴くことが叶った。新しいアレンジで、新しい気持ちで。そして「迷宮のレプリカント」。元々大好きな曲なので、聴けて嬉しい。サビでのパーカッションがもの哀しさを引き立てているようで心地よく聴かせてもらった。

ここでMC。この回で話されたことか記憶があいまいだが、ブログではすっかりおなじみのタクシーの話だった。タクシーで運転手さんに歌わされそうになった話を生で再現してくれて爆笑した。「お~いかけてっ お~いかけて~も~ つ~かめないっ ものば~かりさっ、ハイっ」「いや、ハイって…歌えないから…(苦笑)」。詳しくは是非ASKAさんのブログを読み返して頂きたいが、かの名曲「太陽と埃の中で」を、作ったご本人がギャグモードで運転手さんになりきって歌うという、楽しすぎるものを見せて頂いた。それにしても、天下のASKAさんに自分に続いて歌わせるだなんて、この運転手さん相当な強者である。隠しカメラを設置して、その場面を見てみたかった…。

第1部の最後に歌われたのは「しゃぼん」。ここへ来て活動再開後の新曲を聴くことができた。思えば復活のコンサートまでに既に数十曲もの新曲が揃っているのだ。セトリにはこれまでの代表曲をズラリと…とインタビューで予告していたが、過去の代表曲と肩を並べてそれも前半クライマックスに配置できるような、強い楽曲を新たに生み続けるこの人の果てしなさ。「それでも それでも ああそれでも」絞り出すような、魂の咆哮であった。

 

休憩が終わって第2部。オケの皆さんが着席した後、出てきたのはいくろうさんではなく指揮棒を持ったASKAさん。クスクスと客席が和む。楽しそうに指揮棒を振ってみせているところへ、笑顔でいくろうさん登場。オーケストラのいるコンサートでこんなにお茶目に遊べるのは、大の仲良しであるこの2人ならではだろう。

ASKAさんは「この曲はねえ……。まいいや」と言ってそのまま曲を始めてしまった。その曲には一言では語れない想いが詰まっていることを、私達はすぐに察した。ファーストバイオリンの方の美しいソロから、澤近さんのあのピアノイントロへと繋がっていく。「FUKUOKA」だ。ASKAさんはマイクを手に上手側へゆっくり歩いていくと、自在な動きで伸びやかに歌いあげた。5年ぶりのライブ、第1部では少し緊張もあるかな?と感じていたが、とんでもない。この曲から明らかにスイッチが一段切り替わった。鳥肌ものであった。

続いては「未来の人よ」。ライブでの語りをレコーディングで初めてやってみたという、冒頭のセリフ。これを本当にライブでやったら素敵だろうなと思っていたわけだが、期待以上だった。既に決まったセリフなのに、それはもはや演技を超え、語りかける言葉の一つ一つが生きていた。まさに「ライブ」だと思った。金管と弦の音も、生演奏は立体的でゴージャスで、ASKAさんの豊かな歌声と引き立てあって魅力的であった。

その次も半年前に出来たばかりの新曲が歌われた。それもまさか、「ブルースロック」である「修羅を行く」が、オーケストラによってこんなにもドラマチックで壮大に変身するとは…。確かにロックに弦が入るとよりエモーショナルになる印象がある。「ひとり咲き」もそうだった。そのことを、生で聴くことで再認識した。弦の部分は生の弦楽器で、そしてギターの部分は金管の地を這うような低音で。まるで大河ドラマの主題曲のような重厚な存在感、迫力。しかもそんな中でのリード楽器たるASKAさんの、渋みと艶を湛えた歌声。痺れた。ASKAさんのハーモニカを久しぶりに聴けたのも嬉しかった。このハーモニカのパートには、「Red Hill」の時のような寂寥感がある。ライブで響き渡るのはまた格別であった。

余韻も醒めやらない中、聴こえてきたピアノの音にため息が出た。「MIDNIGHT 2 CALL」だ。これも「Made in ASKA」収録を機に選ばれたのかもしれない。ただ、演奏されたのはベスト盤収録のセルフカバーではなく、オリジナルの方だった。私は近年、セルフカバーをとても気に入っていたが、オリジナルバージョンのピアノや弦を生で聴いて、その中で歌い上げるASKAさんの円熟したボーカルを聴いて、改めてなんといい曲だろうと目頭が熱くなった。「動かせないまま」の後の一瞬の停止、「ただ気づかなかっただけ本当さ」の自然でこなれた歌い方。30年前と変わらない優しさやぬくもりに、年輪を重ねた今のASKAさんの風合いが加わった名演であったと思う。

MCが入り、次の曲への導入として戦争の話に。自分たちはベトナム戦争朝鮮戦争を知っている世代だ。けれどそれはモノクロの記憶だった。湾岸戦争が始まって初めてカラーの戦争の映像を見て、これが今現実に起こっていることなんだと衝撃を受けた。そう語ってくれた。当時のライナーノーツによると、世界情勢を色々考える中で曲を書いたが、書いた後本当に戦争になってしまい妙な気持ちになったという。「東日本大震災でも感じたことだけど、目の前で起こっている現実に対し自分が何もできないという無力感は、あの湾岸戦争がはじめてだった」そう言ってASKAさんは「君が愛を語れ」を歌った。

ピアノのイントロがあまりに印象的なこの曲は、今回は金管の演奏から始まった。単にオリジナルとは印象を変えようという意図だったのかもしれないが、厳かで襟を正したようなあの音色を今振り返ると、どこか平和への祈りのようなものを連想する。そう言えば、アルバム「12」でのセルフカバーは、ピアノに続いてドラムが入ってくるのが特徴的だ。あの張り詰めた太鼓も、やはり戦場を思い起こすのだ。

ライブはいよいよクライマックスに入り、満を持して「月が近づけば少しはましだろう」が歌われた。シンフォニックでのこの曲は、何かに挑むような、立ち向かうような凛々しさを持っている。ライブでのASKAさんをよく、アスリートに例える声を聞くが、この曲はまさにそれではないか。よくぞあのような高いハードルを自ら創り上げたものだと思う。この難易度をクリアできるのは彼しかいない。体全部を使って、気迫でぐいぐい押し通すボーカル。オケとASKAさんの「全楽器」が総力挙げて轟かせる音楽は圧巻である。

次の曲は…と思っていると、ASKAさんが笑顔でアトムのようなポーズをした。そう、私は一瞬「UNI-VERSE」だと思ってしまったのだ。シンフォニックだからさすがに「YAH YAH YAH」はやらないだろうと思っていたからだ。しかし!であった。イントロが流れるや客席は熱狂した。後方にいた私からは、前方の観客が波のように立ち上がっていくさまが見えた。記憶違いでなければ、いくろうさんも「立って!」とジェスチャーしていたように思う。「ちょっと、ウソでしょ!?ウソでしょおーー!?」と笑いながら、私も立ち上がり拳を上げた。終わったときの歓声はものすごく、ASKAさんは「ビルボードで立つと怒られちゃうよ!でもありがとう!」と嬉しそうだった。

MCを挟んで、本編最後の曲になった。「たぶんアンコールやってくれるとは思うけど(笑)、次が最後の曲です」「よく曲が独り歩きって言うけど、初めてそれを感じたのはSAY YESじゃないんだ。シングルでもなくアルバムの中の1曲だったのに、長いこと愛してもらってる曲です」そう言って歌われたのが、ツアータイトルとなった「PRIDE」。あのピアノイントロが澤近さんの手で奏でられた瞬間、心が震えた。オリジナルでは続けてギターなどバンドサウンドが入ってくるのだが、そこを弦で演奏されると、より崇高な気持ちになれる。この曲を歌うASKAさんを今まで何度も見てきた。「白い窓辺に両手を広げた」で思い切り両手を広げる仕草、魂込めてまっすぐまっすぐ歌いかける姿。ただ良い曲を歌うだけの人だったなら、私がここまで夢中で心を寄せることはあっただろうか。いつでも思いきり心を開いて、全力で真心を届けてくれる、そんな姿にたまらなく惹かれてきたのだ。たとえ道を誤ろうと、人に何を言われようと、あの人の芯はずっと変わらない。このステージを見届けた私達が、甦ったあの人のPRIDEの証人だ。

 

あっという間に、アンコールまで来てしまった。「YAH YAH YAHをやったらこれをやらないわけにはいかないでしょう…それでは聴いてください、万里の河」というボケを挟みつつ(笑)、聴こえてきた曲は「SAY YES」。振り返ってみると、今回のセトリにはピアノのフレーズが印象的な楽曲が多い。この曲もピアノがあまりにキラキラしていて、しみじみと感じ入っていた。そして、「戻れるとしたらいつがいいですかと聞かれたとき、若い頃からずっと今がいちばんいいと答えていた。この曲を書く前からずっとそうだったんだ」と言って最後に歌われたのが「今がいちばんいい」。モーツァルトの「フィガロの結婚」で始まるという、いくろうさんのアイデアが光るアレンジに驚いた。客席の照明が明るくなり、私達は曲の間ずっと手拍子で参加させてもらった。テレビで見た小澤征爾の「ラデツキー行進曲」のようだった。前からASKAさんのこの曲への思い入れの強さを感じていたし、バンドツアーでは必ず歌われるだろうと思っていたが、早くもシンフォニックで聴けるとは、それもオーケストラのアレンジがこんなに似合うとは!「サビでは大合唱となるだろう」とASKAさんが書いていた通り、一緒に口ずさみたくてたまらなくなった。周りのお客さんに気を使って声を出すのは堪えたが、手拍子による客席参加型の演奏は思いのほか楽しかった。最後がドレミファソラシド♪で終わるのも、この曲のサビの特徴を活かしていて唸らされたし、歯切れのよい爽快な締めくくりだった。涙ではなく、心からの笑顔で終わることができた。

 

最後にASKAさんが言ってくれた言葉。「待っていてくれて、本当にありがとう」。これまでのMCの中でもっとも熱っぽい語りかけであった。この言葉であったか、貴方が用意してくれていたのは…。こちらこそ、ありがとう。会いたかった。興奮し過ぎて言いそびれたけど、おかえりなさい!

終演後、出口に向かう人混みの中で、口々に「いやぁ…良かったなぁ」「うん、良かった」と言う声が聞こえてきて幸せだった。

私達はみんな、同じ出口をくぐって帰れたんだ。幸せという出口を。

ASKAさん還暦に寄せて

ASKAさん、お誕生日おめでとうございます。
腹膜炎で大変な思いをされて驚き心配しましたが、こうして還暦をお祝いできて嬉しいです。
記念日に私の想いを少しばかり、書かせてくださいね。
貴方はこれまで私を、世の中を、たくさん幸せにして下さいました。音楽だけなんて言いません。貴方はお茶目で人懐っこくて、ひたむきでまっすぐで、誰にも優しく暖かくて、どんな人も決して貶めたり追い詰めたりしない…私にとって貴方は、ミュージシャンとしてだけでなく1人の大人として憧れの存在であり、遠くから見ているだけで幸せでした。
そんな貴方の50代が、こんなに苦しいものになるとは想像もつきませんでした。数字では計り切れない貴方の功績、私達が受け取ったたくさんの愛、真心、情熱、勇気。神様は見ていたはずです。一歩踏み外してしまうその前に、これまでの有り余る善行に鑑みて、神様は救ってくれるべきだったと、私は今でも思う。
けれど貴方は、不屈の魂をもって立ち直って下さいました。心が痛んだであろう様々な言葉に誠実に耳を傾けて下さり、話したくなかったであろうことも勇気を持って打ち明けて下さいました。避けて通ろうと思えば避けられたことに敢えて向き合おうとして下さいました。そして、一番の答えは音楽できっちり出して下さった。50代最後の1年に、とてつもない活躍を見せて下さいましたね。Too Many Peopleの感動から始まった怒涛の日々、私は一生忘れないでしょう。転んでもただでは起きない、という言葉がありますが、貴方はご自分の置かれた現状を逆手にとることで世の幸せのため音楽の未来のために資する道を選んだ。貴方には、誰にもできなかった大きなことを成し遂げる力があると確信しています。発想力、行動力、コミュニケーション力、粘り強さ、信念…私は圧倒されるばかりです。どうか、5本の矢が狙い通り命中することを願ってやみません。
周りの方の助けについて貴方はいつも口にされます。けれどそれは、貴方のお人柄と築いてこられた信頼が呼び寄せたものに間違いありません。私もそうして引き寄せられてきた1人です。神様、私の大切な方の人生、健康、誇りをお守りください。ASKAさんの60代が素晴らしいものでありますように。退院後もお体に気をつけて、笑顔でお会い致しましょう。

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祝・CHAGE and ASKAデビュー38周年

38周年おめでとうございます。
私もファンになって25周年。two-fiveなのです。
今年は、やっとASKAさんが笑顔で歌っている姿を見ることができた。Chageさんがチャゲアスを自然と話題に出してくれることが増えた。
二人が元気で笑顔だと知って迎えることができたアニバーサリー。気兼ねなくおめでとうを言い合えるアニバーサリー。
来年も再来年も、笑顔でお祝いできますように。

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ASKA「Too many people」を私なりの言葉で語らせてくれ(おまけ。)

アルバムにも載っている、「背中ショット」「腕ショット」について。You Tubeでそのお姿を拝見したときには、全国でPCを前にばたばたと倒れていく女性ファンの屍の山に、私ももちろん連なっていたわけである。が、その後「700番」第二巻の閉鎖病棟のくだりを読んで、見方が変わった。あの背中は、あの腕は、彼が自分を守るため、精神の崩壊を防ぐため、壮絶に闘った証なのだ。だからあの姿を見るたび私は、よくぞ無事で帰ってきて下さった、これもひとつの「勲章」だね、と喜びを噛みしめ、やはり嬉々としてぶっ倒れるのである。

 

と、きれいに締めくくる予定だったが、その後「ホーガン」の話を読んだせいで第三の見方が生まれてしまった。嗚呼、我がヒーローはどこまで愛すべきお方なのか。あの背中は…。あの背中に…。

何のことか分からないアナタ。ASKAさんのブログへGOぉーーー!である。

 

<今度こそ了>

ASKA「Too many people」を私なりの言葉で語らせてくれ(2)

07 Too many people

 

初めて聴いたとき、この人がこれをやるのかという新鮮な驚きがあった。彼の字余りな歌詞の乗せ方は過去にもないわけではなかったけれど、ここまで空気がピリッとはりつめるような畳みかけは初めてではないか。そして、サビでは辺りを見渡すようにゆっくりと語りかけてくる。確かに、あまりに多くの人々が、色んなことを言っては通りすぎて行ったのだ。彼なりの言葉を待とうともせず。彼を大事に抱きしめてるつもりのファンでさえも。そんな人々をはっと立ち止まらせ振り向かせ、あるいは黙らせる曲だ。

荒野から凛として放たれるようなこの曲に出会った時、私の好きな中島みゆきが一瞬頭をよぎった。芯の通った音と声であらねば支えきれないような言葉が乗っている、そして聴き手はそれをさらりと聴き流すことができない。それなりの心構えで迎えねばと思わされるような気迫がこもっている。このような曲を歌いこなせるボーカリストは一握りであろう。ただ彼は、決して激情のままに荒々しくつき叫ぶことはしない。元々の彼の理性に加え、作品に置いてはあくまでも生の感情をそのまま投影するのは避けていたという。それでも滲み出てしまうものを多くの人が感じ取ったところに、彼の抱えていたものの大きさを思う。臆せず、かつ激せず、自分の言葉を紡げる人の、静かだけれど重々しい苦悩の痕なのだ。

 

08 と、いう話さ

 

「濡れた夢」のような「No Way」のような、久々にゾクッとくる低音ボーカルだ。この人の色気には多彩な顔がある。そのうちの甘いロマンティックな方面ではなく、クールで尖った方面が全開。サビではこのクールさを保ったままオクターブ上のシャウトで攻めてくるからたまらない。

夢占いにおいて、紙は自己表現の象徴なのだそうだ。「紙が風に飛ばされぬよう 小石を乗せつづける夢を見た」この歌詞から私は「can do now」の紙を撒く場面を連想する。やはり暗示的な夢だ。自分はやれる、そう信じて念じて、一途に発信を続けるcan do now。対してこの曲は、風評で吹き飛ばされそうな自分の真実を守ろうとしているかのようだ。取り巻く風の強大さに対し、自分は地道に小さな石で繰り返し繋ぎとめるしかない。

私は、「それでいいんだ今は」と「元気か自分」に同じ匂いを感じている。この2曲はひと続きの物語のようだ。しかし、その間に全く毛色の違う2曲が配置された。おかげで起伏に富んだアルバムとして楽しめるわけだが、私の中では別の空想も働いてしまう。諦めることはないと決意して歩き出した「それでいいんだ今は」。けれど止むことはない報道の嘘、世間の誤解、独り歩きする噂と想像。沈黙を破り自分なりの言葉で、ひとつひとつ説明を尽くし向き合う「Too many people」「と、いう話さ」。ドアの音がする。ひとつの区切りをくぐり抜ける。リスナーと分かり合い、言葉じゃなく歌を歌うためいよいよ大股で歩き始める「元気か自分」。そんな、私なりの物語を描いてみた。

発売から間もない日、イヤホンでアルバムを聴きながら渋谷の街を歩いた。スクランブル交差点でこの曲のイントロが流れ、ノイジーに掻き鳴らされるギターの中で凛々しく澄み渡るピアノの音に鳥肌が立った思い出は忘れない。疾走感に背中を押されるようにしてずんずんと歩いた。今思えばその音色は、群れのざわめきをよそに颯爽と歩いていくASKAさんの姿と重なる。彼の歌とその思い出は人々の心の財産としていつまでも残る。紙くず同然に風に飛ばされていくのは、そのとき興味を引くだけの使い捨ての言葉の刃達であろう。

 

09 元気か自分

 

「社会の風は2年後も吹き止まないだろう」、けれど「自分を責め続けていては歩けなくなってしまう、せめて自分だけは自分に優しくしてあげたい」、「今を強く生きる」。そんなブログの言葉を思い出す。私はこの曲を「それでいいんだ今は」の続きの世界と受け取っている。耐えるだけの時間は過ぎて砂漠はもう抜けて、まだ向かい風はやまないからインスタントな気持ちが沸き上がることもあるけれど、すべて塗りつぶしてエネルギー満タンで前進していく。大事な人の腕めがけおもちゃの箱をバラ撒きに。

空を駆けるような伸びやかな歌声。軽やかなリズムに心が躍り、言葉のひとつひとつにわくわくする。この曲の世界観を満たしているのは「自由」だ。音楽には自由が必要、自由なしでは傑作は生まれない、と彼はブログや本で語っていた。つまりこの歌は「大きな南向きの窓を開け」た世界であり、思うがまま縦横無尽に駆け巡る自由が描かれている。スニーカーのフットワークで夢を走らせられる自由、煙が不良のような無遠慮さで空をけがせる自由。世間体を重視する周りを振り切り反省と萎縮を混同せず「楽しいことはなんでもやりたい」と言い切ってみせる毅然とした自由。

そして「おはようおかえりなさい」と聴こえたとき、ああやっぱり彼にとって朝は新しい始まりなんだ、嵐が去って朝が来たんだと、過去の様々な歌詞を浮かべながら頷く。

それにしても、「光が濃いと影だって濃い」の説得力と言ったらない。地獄をくぐり抜けて帰ってきた人が「毒入りのジュースは鮮やかな色さ」と圧倒的な明るさで歌えてしまう強さ。なんだかニヤニヤしてしまうではないか。

 

10 通り雨

 

この曲の主人公は気遣いの人だ。「ね」「みたい」という優しい語り口、愚痴を聞いてもらうのにも「笑えるように話するから」と相手の気を害さぬよう気を配る。まるでASKAさんの一面をそのまま切り取ったようでもある。けれどこの歌は、そんな気配り屋の主人公がひと時の癒しを求める物語だ。仕事での嫌な思いから解放され、通り雨に洗われる風景を見守っては、これから会う大好きな人を想う。街の埃を洗い清める通り雨。心のささくれを溶かし去る恋人との時間。

「はじまりはいつも雨」を思わせる優しいギターの音色が、絶え間なく雨粒のように全体を彩る。言葉もメロディも「ラララ」も、ボーカルも音色もテンポも、すべてが柔らかで調和がとれていて、徹底的に心地が良い。音楽にBGMになるタイプとならないタイプ(どちらもいい意味で)があるとすれば、例えば「Too many people」が後者でこの曲は前者にあたるだろう、それも極上のBGMだ。「ドーナツショップ」というたった一言がこの曲にお洒落の魔法をかけている。自分と同じように空を見上げる人があちこちにいると示唆することで、曲の情景が一箇所ではなく広がりを持ったものに変わる。ASKAさんの技の妙に何度聴いても感服のため息を禁じ得ない。

 

11 信じることが楽さ

 

このタイトルを知ったとき、すぐに「ぴあ&ASKA」のインタビューが浮かんだ。人を疑うことは疲れる、創作活動への魂みたいなものが確実にすり減っていく、と。歌詞では疲れるではなく「寂しい」と表現されている。やっぱり人を好きでいたい気持ちや人間そのものへの信頼が彼の創作の根源にはあるのだろう。この曲のメロディも歌声も、水の流れるように素直に胸に沁み入ってくる。潮が満ちて引くように、人を信じることは自然なこと…この曲は彼にとっての「TAO」なのかもしれない。

理屈では説明しきれない「好き」という気持ちがある。私はこの曲を一番、自然と口ずさみたくなる。この人を好きになって良かった、好きでいて良かったという想いが静かに湧き上がる曲なのだ。

 

12 未来の勲章

 

「この愛のために」のような骨のある男らしいボーカル。歌声にねじ伏せられるような痛快さがある。人生は線だ、でも書き直す過程は未来にしかない。インタビューでそんな言葉を目にしたとき、この曲の冒頭の詞を浮かべた。道は揺れてるし哀しみは常にあるけれど、明日になれば何かが変わってるさ―。自分が何かを頑張ったとき、刻まれた皺や傷跡であったり思い出の品であったり、誇れるものを「勲章」と例えることがある。勲章とはとかく過去の功績に与えられるイメージだ。ASKAさんの勲章は既に数限りないように思える。あれほどの出来事を経てもなお、輝きを失わない勲章を私達は確かに見ている。けれど、彼はあくまでそれを未来に求める。まだ懐かしい人にはなるまいと歩き続ける。この曲がまぶしいのは、そんな彼の生きざまをリアルタイムで目の当たりにしているからだろう。13曲の中でも格別に存在感のあるタイトルと、その強さをまとうにふさわしい豪快でたくましい楽曲だ。

いつか彼が再び袖に立ち手を合わせ祈り、五線紙を走ったこの曲が運ばれる日が来る。彼が新たに未来の勲章を手にする日だ。

 

13 しゃぼん

 

ふたを開けてみると、これ以外にエンディングは考えられないという、ここに収まるべくして収まったような楽曲であった。ASKAさんの音楽の中でも個人的にツボである、胸を締め付けるような切なさ、壮大なドラマにまた出会うことができた。

心の琴線を震わす彼の巧みなメロディには、長年魅せられてきた。Tomorrow、好きになる、君が愛を語れ、止まった時計、PRIDE―。そんな切なさの表現に、今回プラスされた感情が、「それでもそれでも ああそれでも」という魂を振り絞るような叫びであると思う。これまでの楽曲も魂のこもった歌唱ばかりだった。けれどこの曲は、闇の底から手を伸ばし持てる力を絞り出すような凄みが胸に迫る。メロディのじりじり登っていくさまは、すんなりとそこを越えられないもどかしさそのままのようでもある。アルバムのコピーの「渾身」という言葉は、この叫びのためにあるとすら思える。

私はASKAさんの作る大サビや間奏が好きだと6曲目で書いた。この曲の大サビ、間奏からラストサビへのドラマチックな流れもまた格別だ。彼の音楽と声でしか、この世界は創れない。希望の白い朝が訪れるさまを、音で描いてくれる。

そして、曲が終わったとき私は、ブックレットの最初のページに戻りたくなる。

「十敗したって十勝すればいい」「嵐が去ったら何になる?」「朝が来るんです」

 

貴方の上に、天使は必ずいるよ。私のそばには、貴方の歌がきらきらとしているよ。

「人は宇宙の中にいるのではなく、人は宇宙を持ってる 人はすごい 人はすごい」貴方が魂で語りかけたあの日の景色が、嵐の日々も私の心を守ってきたよ。

今幸せか苦しいかと聞かれたら、すぐには答えられない。けれど、全ての幸せから全ての苦しみを差し引きしたら、やっぱり幸せが残るんだ。

なぜなら、私のヒーローが帰ってきたから。

 

 

このアルバムについて、Twitterで様々な賛辞を読んだ。その中で「熱量」という言葉がとてもしっくりくるし共感を覚えた。私の言葉で表すなら、「生命力と情熱」のみなぎるアルバムと言いたい。希望も苦悩も、どちらも力一杯生きる姿であり人間らしさだ。それが唯一無二の歌唱で表現された13曲だ。

いつまでも作品を手放しで誉めることを嫌い、「やったことは許されないけれど」という前置きつきで語られることにはうんざりしている。「音楽と人間性は別」という声にもちょっと待てと言いたい。言いたいことは山ほどある。ただ、ここは途中だ。自分を取り戻し帰ってきてくれたあの方が、この先も音楽という真心を届け続けて下さることは間違いない。心に壁を作ったままの人々にもいつしか雪解けの広がっていくことを信じている。私はただひたすら、あの方の不屈の魂に心からの敬意を捧げたい。

 

ASKAさん戻ってきて下さってありがとう。再びお会いできて幸せです。もう二度と遠くへ行かないで下さいね。ずっとずっと、貴方の音楽人生のお伴をさせて下さい。

 

<了>

ASKA「Too many people」を私なりの言葉で語らせてくれ(1)

音楽通や批評家がへっと鼻で嗤うよな、シロート目線(されどファン歴25年)の激賞を

延々とお届けしますよ。

 

2017年2月23日

 

ブックレットをそうっと開いて、しばらく身じろぎもできなくなった。私のヒーローが、あるべき姿でそこにいた。このときをどれほど夢に見たことだろう。

 

思えばもう何年も、趣味を脇に追いやって仕事と育児だけにまい進していた。二人のことは心の中の大切な存在でありつつも、ライブはおろか活動休止後はアルバムや会報さえもろくに追えていなかった。やっと自分の周りが少し落ち着いた頃。あの報道があった。守りたい心の柱が崩されるかもしれないと知ったとき、私の中で再起動のスイッチが押されたのだった。

それからの3年半について、ここでは語るまい。出来事の度に段階を踏んで、覚悟は固まっていったように思う。敬愛する気持ち、元気な姿に会いたいという想いは、何があっても揺らがなかった。

 

こんなに日々心待ちにしたアルバムは初めて、CDを予約したり買ったりすることにこんなにドキドキしたのも初めて。私がそれを聴けたのは、発売日の翌日だった。リビングのど真ん中にラジカセを置いて、一人でじっと聴いた。電車に揺られながらイヤホンで爆音で聴いた。カフェで周りに見せびらかすようにブックレットを広げながら聴いた。そしたら紅茶の小さなシミをつけてしまった。人生で初めて、保存用の2枚目というものを買った。

私の心は発売から少なくともひと月は空を飛んだままだった。夢じゃない。やっと会いたかった人に会えた。私がこの世で一番好きな歌声が蘇った。13曲もの新曲、写真、散文詩と共に。これは3年半信じて待った自分への、盛大なご褒美なのだと勝手に思っている。

 

 

 

01 FUKUOKA

 

 

噛みしめるような入魂のイントロである。澤近さんはこれだけで2時間費やしたという。全身全霊で支えてくれたのが伝わってきて、感謝は尽きない。クリスマスのあの日、この音色と共に待ちわびたシルエットが静かに鮮やかに現れた。柔らかだけど重厚に、剣士の気品と幾多の嵐に耐えた年輪を伴って、彼は在るべき場所へ戻ってきた。その劇的な一歩を先導するようなピアノである。

ふるさとへの感謝を詰め込んだ一曲。けれど私の想いはただ一言「ASKAさんが帰ってきてくれた」これに尽きる。こんなドラマチックな音楽の出会い方があるだろうか。私は彼の音楽にずっと幸せをもらってきたと思っているけれど、この時の幸せはそれまで経験のないものだった。この歌に永遠に刻みこまれ、再生ボタンを押すたびに蘇る幸せだ。  

           

02 Be free

 

デモ音源を完成させるのだから、より良いものになるのは当たり前なのだろうが、それ以上に「生まれ変わった」印象の強い作品。Be freeが本当に“free”になったんだ、と曲を聴いて率直に感じた。デモ音源はまだ部屋の中にいるイメージ。完成版はまるで、広い外の世界に解き放たれ「柔らかな朝陽を」全身に浴びているよう。何より、ボーカルが命の灯火を取り返したかのように伸びやかだ。光の中へ飛び出していくような間奏の盛り上がりの果てに「Be free! Hahahaha!!」と聴こえてきたときは、思わず笑みがこぼれた。彼にとっての本当の夜明けとはいつなのか、私達には分からない。けれど、私達は「生まれたての光」を確かに受け取ったのだ。

この曲は、いつかシンフォニックコンサートで歌ってほしい。生の弦楽器の響きの中で聴いてみたい。

 

03 リハーサル

 

3番目に何を持ってくるかは重要らしい。しみじみとした2曲が続いた後のこの曲できりっと空気が攻めに転じ、一瞬にして撃ち抜かれたリスナーは多いと思う。波動で頭がビリビリするような、これぞASKAというべき声量を堪能できる曲。これでもかと繰り出されるロングトーンを世のあらゆる人に聴かせたい、彼のダイナミズムですべての人を唸らせたい。アルバム全体を聴いて再度歌い直したのだというが、より迫力をこめたものに変えたのだろうか、それとも…。このアルバムはバリエーション豊かな曲が揃っているがそれはボーカルも同じで、この曲のシャウトがよりアルバムにメリハリを与えている。

ライブについて彼は、解放を得る瞬間に向かって道順を作っていく、客の気持ちの一歩先をナビゲートしていくつもり、一斉に弾ける瞬間を逃さず更に引っ張っていく…と語っている。客をリードするための道順を組み立てるリハーサル。この曲で言うなら「百個並んでる道を自由な手探りで、波間にうねる隙間を」縫って、「幸せを育ててみる」、というところだろうか。ライブへの渇望感と情熱が否応なしに伝わってくる。リハーサルでこれほど燃えているのだから本番はいかに…?その日が待ち遠しい。

 

04 東京

 

高らかな鐘の音が希望に満ちている。ここまで突き抜けるような「陽」の楽曲に久しぶりに出会った気がしてしまう。「朝をありがとう」や「僕の来た道」のような曲だってあったのだが、それより明度が更に一段階上がって、聴いているだけでパワーがみなぎるようだ。戻ってきてくれた彼から今こういう音楽が出てくるのが本当に嬉しい。

福岡が風の見える緑豊かな風景なら、東京は高いマストのビルや家が隣合わせで密集した風景。どちらにも深い愛着が窺える。「よっこらしょ」「お家たち」と、彼ならではの言葉遣いは健在。言葉には、使い手の眼差しが透けて見えることがある。詞の向こうに透けているASKAさんの眼差しには、人間や人間の営みに対する親愛の情が溢れている。

ブログでは同じ「東京」というタイトルの散文詩も発表されている。東京は、彼がこれから矢を放ち野生を試そうとしている「夢の降る街」だ。この希望の舞台がずっと続きますようにと、私も祈らずにいられない。

 

05 X1

 

この人の非凡さは曲の入口から表れる。いきなり「西向きの窓のようさ」と始めることでリスナーを惹きつけ想像を促し、種明かしは後から来る。「港に潜んだ潜水艇」等でも見られる技だ。

先行して発表されていたが、アルバムの流れの中で聴くと心地よさが際立つのが分かる。肩の力の抜けたリズム、優しい音、重たくもなく駆り立てるでもなく、傷んだ人に寄り添える音とはこういうものか、と思わされる。

肩を震わせ涙にくれている、何かに躓いた人。側に座って語りかけるように彼の言葉がいたわりを投げかける。言葉はひとつ間違うと圧迫になる。「頑張ろう」ですらも押しつけになりうる。強い言葉は誰かを奮い立たせることもあるが、立ち上がる力を奪うこともある。ただ側にいて「君は頑張ってる」と肯定してくれる…シンプルだが彼にしか言えない言葉だ。

この曲は文字通りの意味にとどまらずあらゆる人に重ねることができる。ASKAさん自身を歌ったのではという意見もある。私は、あくまで自分以外の誰かに語りかける歌だと思っているが、結果的に彼自身にとてもリンクする内容になっている。少なくとも「君」と同じ立ち位置から発せられた言葉だと言えるだろう。今の彼だからこそ言葉に説得力が増した楽曲ではないだろうか。この曲を必要とするたくさんの人々の中には、様々な依存性に苦しむ人々も含まれていると、私は感じている。「700番第二巻/第三巻」の藤岡ダルクの章を読んで、益々そんな印象を強くした。着想のきっかけは違うところからだったようだが、10年経って「笑顔で苦しんでいる」すべての人に優しい眼差しを向ける作品として結実したのだと思う。

 

06 それでいいんだ今は

 

出だしの言葉が光る楽曲揃いな中、この曲も「風色のサイダー」でたちまち心を掴まれる。前へ進むために顔を上げ、自分を失くすまいとする彼の底力が思い切りポジティブに楽曲全体にこめられている。耐える時を歌いつつも、彼はもう決意を完了しているのだ。アレンジもぐんぐんと淀みなく進んでいく感が半端ない。ベースの刻みがエンジン音のようでもある。そして「砂漠を越えて草原を渡り」からの部分はクセになる。うねるドラム、きらめくピアノ、躍動するギター…私の脳裏に小型の飛行機が現れ、アクロバットな軌跡を描いたのち一目散に突き進んでいくようだ。「前へ、前へ」という心の声が聞こえてくる。ASKAさんの作る大サビや間奏はいつだって、私の感情を絶妙に搔き立てながらラストのサビへと運んで行ってくれる。このアルバムで久しぶりにそんな快感に身を委ねている。揺さぶられ溺れていられる幸せ。

そして終わり方が実に潔い。私はここで一時停止を押して一呼吸したくなる。次の曲で空気が一変する前に、もう少し余韻を味わっていたい。私の中でこの曲の終わりはアナログ盤を裏返すタイミングのようなものだ。

 

<続く>